ボルドー液の起源
さまざまな農作物にも使用されているボルドー液。ブドウ栽培においては、有機栽培でなくとも欠かすことのできない存在になっています。しかしこのボルドー液、ワイン雑誌などから、その起源ついて知る人は多いかもしれないが、その性質や作用などまでも正確に把握している人は極めて少ないのでは?ボルドー液の殺菌作用のしくみ。ボルドー液の乱用が自然にもたらす作用。そして、なぜ、ボルドー液は農薬として扱われず、有機栽培に使用することができるのか。などなど、少し考えてみただけでも実に多くの些細な疑問が湧き上がります。そこで、シリーズでボルドー液について話していきたいと思います。
まず始めにご存知の方も多いかもしれませんが、ボルドー液の起源から話し始めることにします。
ボルドー液が発明されるに至った経緯にかかせないブドウ病害菌があります。それが、べと病です。まず、このベト病についてみていきます。ベト病は1870年代頃にアメリカからフランスに持ち込まれ、以降、フランス全土で大発生しました。ベト病がアメリカから持ち込まれた経緯には、1860年代のフィロキセラが関与しています。つまり、フィロキセラに強いアメリカ系のブドウ品種の苗木をアメリカから大量に輸入。その苗木と一緒にべと病菌も輸入してしまったことに、フランスでのべと病菌大発生の原因があるのです。
アメリカ種と異なり、ヨーロッパ種のブドウは、ベト病に対して罹病性(りびょうせい:病気に対して弱い性質)であったために、瞬く間に全土のブドウ栽培地にベト病が広がり、大きな被害を与えました。このことがきっかけとなり、フランスでは1878年に植物の輸入を禁止しました。これが、現在の「植物検疫」の発端になっています。
ベト病がフランス領土を侵食している中、ボルドー大学で植物学の教授をしていたミラルデー博士は、ある日、メドックのブドウ畑を調査しているときに、あることに気がついたのです。当時、ブドウ泥棒よけに使用していた硫酸銅と石灰(炭酸カルシウム:CaCO
3)の混合物(vitriolという名前)が利用されていたのですが、このvitriolを散布している場所にだけベト病が発生していないことに気がつきました。その後、化学が専門のガイヨン教授と研究をはじめ、1885年硫酸銅と生石灰(酸化カルシウム:CaO)の混合液がベト病に対して効果があることが分かり、ボルドー大学での研究成果であったために「ボルドー液」と名づけられたそうです。
ちなみにボルドー液の前駆体であるvitriolの語源は、「ガラス」を意味するラテン語の vitrum だとか。硫酸銅の青い色からそう名づけられたという話があります。
[参考文献 : 稲葉忠興 「ベト病のはなし」、2002年、タキイ種苗株式会社 / Wikipedia.fr: bouillie bordelaise; vitriol.]